姓名判断②
前回の続きからです。
永杜鷹堂(ながもり・ようどう)という人と熊﨑健翁は赤の他人ではありません。熊﨑氏は、永杜鷹堂の主宰する連山塾(林永流運命学)の門下生だったのです。
残念な事に、熊﨑氏は師の教えを十分に解せぬままに、独自の姓名学を創始してしまいました。その不十分かつ未熟な理論のまま、社会的地位を得た事を心配している様子が、永杜氏の著書『運命の哲理』(昭和13年・清教社・定価2円50銭)から伺えるのです。
その辺りの経緯は省くと致しまして、永杜氏が「熊﨑式姓名学」に異を唱えたのは、理論の幼稚さだけでは有りません。易・四柱推命・人相・姓名の4つが体系化されていてこその運命学である。熊﨑式にはそれが無いと、永杜氏は言っています。
つまり、姓名学のみで、人様の運命を判断するのは愚の骨頂であるということになります。しかも、その理論が穴だらけであれば、尚更であります。この事は姓名判断(熊﨑式とその影響が見られる流派)の結果を気にし過ぎるほどではないし、そんなものかという程度に受け取っても、差し支えないのです。
この『運命の哲理』は占いの技法は紹介程度に、占術を通して見た林永流の哲学書と言うべきものです。もし、同時代に生きていたなら薫陶を受けたかった…。真の東洋運命学について学びたかった。そう思うほど、衝撃を受けた本です。
ともあれ、姓名判断のみで、人生の吉凶を鵜呑みにせず、それをビジネスとした商法に乗せられないようにしてほしいと願います。
烏庵庵主 タロローグ健
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